イノベーション研究家  柏野健三公式サイト

hisory

1919 LSE学長に就任  物価史に関する研究開始
    J.メア LSEの管理秘書に就任

1920 LSEにおける講演「自由教育としての経済学」
    国王ジョージ5世、ホートン・ストリートに学舎建設の礎 石 を据える。
     エドワード・ジェンクス(Edward Jenks)がイングランド法教授となる。
    ハリィ・トーニィ(Harry Tawney)が上席講師となる。

1921 カンプデン・ハウス・ロード(Campden House Road)51番 地へ移住  『エコノミカ』(Economica)刊行   臨時委員会任命(理事会)   ハロルド・ラスキ(Harold Laski)が着任

1922 『ロンドンおよびケンブリッジ経済サービス』(London and Cambridge Economic Service)刊行  総選挙 ホートン・ストリートの学舎開館

1923 『ネーション』(Nation)の中で経済司令本部設立を提案,ロックフェラーに補助金申請 年間5千ポンド(4年半)に加えて敷地購入のため6千ポンドの支給決定、ラスキ リーダー(Reader)となる。

1924 トロントにおける英国連合会議(British Association conference)に出席 保護税率という形での「経済的ナショナリズム」に強く反対、ロンドン市長公邸会議に出席 シティの人々に歓迎される。国際交易に関するリチャード・コブデン(Richard Cobden)蔵書獲得。

1925 論文「静止した状態におけるスクール・オブ・エコノミックス」を刊行、「社会科学の自然的基礎」調査発展を求める野心的プログラム作成

1926 ロックフェラー信託 建物用として20万ポンド、図書館に8千ポンド寄贈、ホートン・ストリートの東側に敷地獲得、ウォーラス退職、アリン・ヤング(Allyn Young)が政治経済学の教授就任、ロンドン大学副総長に選出される。ニューヨークのロックフェラー財団訪問

1927 プログラム「社会科学の自然的基礎」実施、セント・クレメンツ・プレスがホートン・ストリートから移動、ベッドフォド侯爵からの敷地購入に関してベッドフォード伯爵に圧力をかける。敷地購入に成功する。

1928 British Food Control(Oxford University)、ウエールズ皇太子 LSE訪問、LSEがウェブ夫妻の肖像画作成依頼、ロイド・ジョージ『英国の産業未来』(Britain's Industrial Future)

1929 ベヴァリッジの両親死去。社会生物学の教授職がロンドン大学によって承認される。世界恐慌。ホブハウス死去。結婚申込を拒絶される。ロンドン・カウンティ・カウンシル(LCC)がLSEへ二つの学校を譲渡。

1930 『失業:産業の問題』(Unemployment)

1931 J.M.ケインズ「金融および産業に関するマクミラン委員会」へ出席、保護貿易措置への彼の転向を表明。

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